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静岡地方裁判所 平成3年(ワ)331号 判決

原告

甲野太郎

原告

甲野花子

右両名訴訟代理人弁護士

大多和暁

阿部浩基

黒柳安生

澤口嘉代子

被告

清水市

右代表者市長

宮城島弘正

右訴訟代理人弁護士

渡邊高秀

石割誠

牧田静二

右訴訟復代理人弁護士

祖父江史和

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告らに対し、各金三四八四万六〇二八円及びこれに対する昭和六一年三月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

第二  事案の概要

本件は、訴外亡甲野雄太(昭和六一年三月二五日生、同月二七日死亡。以下「亡雄太」という。)の父母である原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)及び同甲野花子(以下「原告花子」という。)が、亡雄太が胎児仮死を原因とする新生児仮死で出生してその後死亡し、原告花子が子宮腔癒着症等により妊娠することがほぼ不可能となったのは、被告が開設する清水市立清水総合病院(以下「被告病院」という。)の債務不履行または過失(以下、単に「過失」という。)が原因であるとして、被告に対し、民法四一五条または同法七〇九条に基づき、損害賠償を請求している事案である。

一  前提となる事実(証拠摘示のない事実は争いのない事実である。)

1  原告花子の妊娠と被告病院における定期検診

(一) 原告花子(昭和二四年一二月一八日生)は、三三歳のときに原告太郎と結婚し、それまで妊娠経験がなかったが、昭和六〇年八月三日、三五歳のときに無月経を訴えて被告病院を受診し、同病院の芝徹医師(以下「芝医師」という。)から妊娠五週と一日、分娩予定日を昭和六一年四月四日と診断され、以後、同病院において定期検診を受けた。なお、原告花子は、身長が約一六六ないし一六七センチメートル、被告病院初診時における普段の体重が約七二キログラムであった(甲一、乙一)。

(二) 原告花子は、昭和六一年三月二二日の定期検診の際、被告病院の新本弘医師(以下「新本医師」という。)から分娩誘導が必要との診断を受け、同月二四日、被告病院に入院した(以下、日にちは、特にことわらない限り、昭和六一年のものを指す。)。

2  被告病院における陣痛促進剤の投与

被告病院は、原告花子に対し、右同日から、プロスタグランジンF2α製剤であるプロスタルモンF二アンプル、オキシトシン製剤であるアトニンO五単位一アンプルを五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルに混和した子宮収縮剤(いわゆる陣痛促進剤。以下「陣痛促進剤」という。)を点滴投与した。

3  原告花子の異常の発生等

原告花子には胎児心音を監視できる分娩監視装置が装着され、右装置は胎児心拍数が一定数値以下に低下するとブザーが鳴る仕組みになっていたところ(なお、正常な胎児心拍数は一分間に一二〇ないし一六〇であり、一六〇以上を頻脈(そのうち一八〇以上を高度頻脈)、一二〇以下を徐脈(そのうち一〇〇以下を高度徐脈)という(乙一五の4)。)、三月二五日午後六時台に右装置のブザーが鳴ったため、原告花子は、陣痛室に付き添っていた同太郎に対し、陣痛室の隣のナースステーションに連絡するよう頼み、駆けつけた川島長美助産婦(以下「川島助産婦」という。)らに対し、破水があったような感じがしたと訴えた。川島助産婦は、胎児心拍数が低下していたことから、当直医の芝医師に連絡し、その後、芝医師が陣痛室に駆けつけたが、そのときには原告花子はほぼ意識不明の状態となっていた。なお、原告花子は、芝医師が陣痛室に到着する前、川島助産婦らに息苦しさを訴えていた。

4  緊急帝王切開手術の実施と亡雄太の死亡

(一) 芝医師は、後に陣痛室に到着した今西克彦産婦人科科長(以下「今西医師」という。)らとともに原告花子の治療にあたり、同日午後八時二四分、緊急帝王切開手術を行った。

(二) 同二七分、亡雄太が胎児仮死を原因とするアプガールスコアー一点の新生児仮死で出生し、その後、被告病院の医師らによって治療が行われたが、同月二七日午前三時四三分、死亡した(なお、胎児仮死とは、胎児・胎盤系における呼吸・循環不全を主徴とする症候群であり、胎児が何らかの原因で低酸素状態に陥っている場合をいう(甲一九、二九)。また、新生児仮死とは、出生時における呼吸循環不全を主徴とする症候群をいう。さらに、アプガールスコアーとは、新生児の出生一分後あるいは五分後における状態(心音数、呼吸、筋緊張、反射、皮膚色)をあらわす点数であって、一〇点が最高点数であり、点数が低いものほど重症の仮死と判断される(甲八)。)。

5  原告花子の状態等

原告花子は、六月七日、被告病院を退院したが、同病院入院中に子宮内膜炎(子宮体内膜の炎症をいう(甲三四)。)、九月八日に子宮腔癒着症と診断され(乙一、三)、その後、平成元年一二月一四日、静岡県立総合病院の医師により子宮腔内癒着症・子宮内膜萎縮症、妊娠の可能性は非常に少ないと考えられるなどと診断された(甲三)。

二  争点

1  医療過誤訴訟において債務不履行に基づく損害賠償請求をする場合、原告は診療行為から意外な結果が発生したことだけを主張立証すれば足りるか、それとも、医療機関側に過失があったこと及びこれと結果との間に因果関係があることを具体的に主張立証しなければならないか(原告の主張立証責任の内容)。

2  亡雄太が胎児仮死となった時期はいつか。また、その原因は何か(胎児仮死となった時期及び原因)。

3  亡雄太が死亡したことについて、被告病院に過失があるか(亡雄太の死亡に関する被告病院の過失の有無)。

4  原告花子が子宮腔癒着症等により妊娠することがほぼ不可能となったことについて、被告病院に過失があるか(原告花子の子宮腔癒着症等に関する被告病院の過失の有無)。

5  損害額

三  争点に対する当事者の主張の要旨〈省略〉

第三  争点に対する判断

一  争点1(主張立証責任の所在)について

原告らは、医療過誤訴訟において債務不履行に基づく損害賠償請求をする場合、原告は診療行為から意外な結果が発生したことだけを主張立証すれば足りると主張する。

しかしながら、意外な結果という概念自体、主観的で曖昧である上、そもそも診療契約は、一般に準委任契約(民法六五六条)と解されており、必ずしも医療機関側が一定の結果を達成する義務を負うものではないとされているから、単に診療行為から意外な結果が発生したことを主張立証しさえすれば医療機関側に債務不履行責任が認められるとすることはできず、右責任が認められるためには、医療機関側が一般的に要求される善管注意義務を怠り(診療契約における不完全履行)、かつ、右義務違反と結果との間に因果関係があることが必要であると解すべきである。そして、右の善管注意義務違反と因果関係が認められるか否かは、診療行為の内容、臨床経過、発生した結果の内容、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準等を総合して判断されるものであって、これらの事実は事案によって当然異なるものであるから、原告は事案に即して医療機関側の善管注意義務違反を基礎づける事実及び右義務違反と結果との間の因果関係を具体的に主張立証しなければならないと解するのが相当である。したがって、これと異なる原告らの主張は採用できない。

また、原告らは、診療行為から意外な結果が発生した場合には、特段の事情がない限り、医療機関側に善管注意義務違反によって右の結果が生じたことが推定されるとも主張するが、そのような推定が働くかどうかは事案によって当然異なるから、一般的にそのような推定が働くとの原告らの主張も採用できない。

二  争点2ないし4について

1  認定事実

前記前提となる事実に証拠(甲一、乙一ないし四、証人芝徹、同新本弘、同今西克彦、原告花子本人)と弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 被告病院における定期検診と分娩誘導の決定

(1) 被告病院における定期検診時の原告花子の状況は、別紙妊娠中の経過記載のとおりである。

(2) 原告花子の診察は、三月二二日以外は芝医師が行い、同医師は、原告花子に対し、数回にわたって体重の増加を注意していた。また、原告花子は、三月一四日の定期検診において子宮頸管熟化不全症と診断され、右同日と同月二二日の定期検診の際に子宮頸管熟化剤であるマイリス注二〇〇ミリグラムを投与された。

(3) 三月二二日の定期検診を担当した新本医師は、超音波検査の結果、胎児の児頭大横径が九六ミリメートル、大腿骨長が六九ミリメートルであったため、巨大児(生下時体重が四〇〇〇グラム以上のもの)の疑いがあると診断した。新本医師は、原告花子が軽症の妊娠中毒症であり、肥満や高年初産という妊娠中毒症を悪化させる要因を有していること、妊娠週数は三八週を過ぎていること、巨大児の疑いがあること等を総合考慮し、母体の安全のためには分娩誘導を行って早期に分娩させた方がよいと考え、芝医師と相談して分娩誘導を行うことを決定し、原告花子に対し、胎児が大きいこと等を説明した上、出産予定日まで待って経膣分娩を行うのは大変なので分娩誘導を行った方がよいと述べた。原告花子は、経膣分娩が大変なのであれば帝王切開をお願いしたいと申し出たが、芝医師から現時点では帝王切開する理由がないなどと言われ、分娩誘導に同意することにした(なお、原告らは、原告花子が芝医師らから妊娠中毒症であると言われていないこと(原告花子本人)、診療録(乙二・一九六丁表)に「子宮底が大きいので誘導した方が良いと云われ、入院となる」と記載されていること等をもって、芝医師らが分娩誘導を行うことを決定した理由は巨大児の疑いがあることだけであり、妊娠中毒症は理由となっていなかったと主張する。しかしながら、証拠(甲七)によれば、妊娠中毒症とは、妊娠に浮腫、尿蛋白、高血圧の一つまたは二つ以上の症状がみられ、かつ、これらの症状が単なる妊娠偶発合併症によるものでないものをいい、右の三つの症状の程度により、軽症と重症に大別されるところ、別紙妊娠中の経過記載の事実によれば、原告花子が軽症の妊娠中毒症であったことは明らかであり、これを医師である芝医師らが考慮しなかったとは考えられない。また、診療録(乙二・一丁裏)には「中毒症」との記載があるところ、証拠(証人芝徹)によれば、これは分娩誘導の理由として記載されたことが認められる。よって、原告らの指摘する証拠をもって、妊娠中毒症を分娩誘導の理由としたとの証人芝徹及び同新本弘の証言が信用できないとすることはできず、原告らの右主張は採用できない。)。

なお、右検診時において、原告花子は、子宮口開大度〇センチメートル、展退度一〇パーセント、児頭下降度マイナス五センチメートル、頸部の硬さ中等度、子宮口位置やや中央の状態であり、頸管はまだ熟化していなかった(証拠(甲四)によれば、頸管熟化の所見としては、子宮膣部が柔軟であること、子宮口が二、三センチメートル以上開いていること、頸管が三分の一またはそれ以上短縮していること(展退度三〇パーセント以上)、子宮膣部の位置が中央あるいは前方にあることとされている。)。また、芝医師と新本医師は、原告花子がCPDであるか否かを確認するための骨盤計測を行わず、新本医師は、診療録に分娩誘導を行った上で何かあれば、帝王切開へ移行することを付記した。

(二) 分娩誘導の状況

(1) 原告花子は、同月二四日午前九時四〇分ころ、分娩誘導の目的で被告病院に入院し、入院時は、血圧が収縮期一五二、拡張期一〇四、体重八四キログラムで、下肢に浮腫が認められ、また、子宮口開大度〇センチメートル、展退度〇パーセント、児頭下降度マイナス五センチメートル以上であり、頸管は熟化していなかった。

(2) 被告病院は、原告花子に対し、同日午前一〇時四〇分ころから、一分間に二〇滴の速度で陣痛促進剤の点滴投与を開始し、また、マイリス注二〇〇ミリグラムを投与した。

午前一一時ころ、原告花子に腹緊が認められるようになり、胎児心拍数は一二―一二―一三(五秒毎の胎児心拍数)と正常で、午後零時三〇分ころも同様の状況であった。午後零時四〇分ころ、マイリス注二〇〇ミリグラムがさらに投与されたが、午後一時五〇分ころも右と同様の状況であり、再度、マイリス注二〇〇ミリグラムが投与された。

午後二時二〇分ころ、原告花子に約一〇分間隔で陣痛が発来するようになり、午後三時二〇分ころ、原告花子に分娩監視装置が装着されるとともに、点滴速度が一分間に三〇滴に変更されたところ、約二分ないし三分間隔で陣痛が発来するようになった。しかし、陣痛発作は弱く、分娩には至らなかった。

午後五時二〇分ころ、食事のために一度分娩監視装置が除去され、午後六時三〇分ころ、点滴速度が一分間に二〇滴に変更された。午後七時ころ、再度分娩監視装置が装着されたが、陣痛の状況は前と同様であった。そして、午後九時ころからは陣痛が発来しなくなったため、午後一〇時ころ、陣痛促進剤の点滴投与が中止され、分娩監視装置が除去された。

(3) 翌二五日午前一〇時ころ、陣痛促進剤の点滴投与によってもほとんど原告花子に分娩誘導の反応がみられなかったため、機械的な刺激を加えて分娩を誘導する小畑メトロ挿入による分娩誘導法が開始された。また、マイリス注二〇〇ミリグラムが投与された。

午前一一時ころから、一分間に二〇滴の速度で陣痛促進剤の点滴投与が再開され、原告花子に腹緊が認められるようになった。午後零時三〇分ころ、点滴速度が一分間に三〇滴に変更され、また、マイリス注二〇〇ミリグラムが投与された。午後二時ころ、原告花子に約一〇分間隔で陣痛が発来するようになり、午後四時ころ、分娩監視装置が装着されるとともに、点滴速度が一分間に三五滴に変更されたところ、約五ないし六分の間隔で陣痛が発来するようになり、午後四時四〇分ころからは約二分弱の間隔で陣痛が発来するようになった。しかし、陣痛発作は弱く、分娩には至らなかった(なお、原告花子本人は、芝医師が午後六時ころに右の点滴速度をさらに速めた旨供述し、原告花子作成の陳述書(甲三二)にも同様の記載があるが、これを裏付ける的確な証拠がないことに照らすと、右供述等を直ちに採用することはできない。)。

(三) 原告花子の異常の発生と亡雄太の死亡

(1) 三月二五日午後六時四〇分前後ころ、分娩監視装置のブザーが鳴ったため、原告花子は同太郎に陣痛室の隣にあるナースステーションに連絡するよう依頼した(なお、証拠(証人今西克彦)によれば、右装置のブザーが鳴る数値は少なくとも一〇〇以下に設定されていたことが認められるが、それ以上の正確な数値は本件全証拠によっても不明である。また、証拠(乙二、証人芝徹、同今西克彦)によれば、右装置のモニタリング記録の時刻は必ずしも正確ではなかったと認められる。したがって、右装置のブザーが鳴った正確な時刻については、本件全証拠によっても認定することはできない。)。原告太郎は直ちにナースステーションに連絡し、これを受けて川島助産婦と看護婦一名が直ちに陣痛室に駆けつけた。原告花子は川島助産婦らに対し、尿が漏れたような感じがしたことや息苦しいことを訴え、川島助産婦は、胎児心拍数が低下していたことから、直ちに芝医師に連絡するためにナースステーションに戻り、右看護婦は陣痛促進剤の投与を中止して原告花子に酸素投与及び輸液を行った。その後、午後六時五〇分ころ、連絡を受けた芝医師が陣痛室に駆けつけたが、そのときには原告花子はほぼ意識不明の状態にあり、呼吸が不整で止まることがあったりして血圧も下がっていて、落ち着かない状態で首を左右に振ったりしていた。芝医師は、看護婦らに対し、直ちに原告花子にハートモニターを装着するよう命じ、エフェドリン一〇ミリグラムとセルシン一〇ミリグラムを投与した(なお、エフェドリンには昇圧作用があり、セルシンには鎮静作用がある。)。また、芝医師は、原告花子の気道を確保するため気管内挿管を試みたが、原告花子が首を左右に振るために施行できず、原告花子が舌を噛みきらないようにするためのゴム製品(バイトブロック)を口に挿入するのが精一杯であった。午後六時五四分ころ、今西医師らが陣痛室に到着し、芝医師とともに原告花子の治療にあたったが、同五九分ころ、原告花子の血圧が低下して測定不能となり、再度、エフェドリン一〇ミリグラムとセルシン0.5アンプルが投与された。午後七時七分ころには原告花子は唾液を泡状に流し出し、同一三分ころには血圧が触診で八〇となった。また、芝医師らは、そのころ、マグネゾール一アンプルを投与した。同二三分ころ、原告花子が大声を出して暴れたため、同三三分ころ、セルシン二〇ミリグラムが投与された。同三七分ころ、胎児心拍数が六〇に上昇し、その後も、芝医師らは、セルシン一〇ミリグラム等を投与するなどして治療にあたったが、同五五分ころ、原告花子が激しく動くため、再度、セルシン一〇ミリグラムを投与し、午後八時ころ、緊急帝王切開手術を行うため手術室に移した。このとき、原告花子は意識混濁状態であった。同二四分、芝医師の執刀により緊急帝王切開手術が行われ、同二七分、亡雄太がアプガールスコアー一点の新生児仮死で出生した。亡雄太は出生時三六一五グラムであり、羊水の混濁が認められたが量は普通であり、また、胎盤は六〇〇グラムで、前置胎盤、常位胎盤早期剥離等の異常は認められなかった。なお、右手術時において原告花子は、子宮口開大度三センチメートル、展退度二〇パーセント、児頭下降度マイナス三センチメートルであった。

(2) 亡雄太は、出生後、直ちに気管内挿管されて保育器に収容され、被告病院の医師らによって治療が行われたが、同月二七日午前三時二五分ころ心停止し、蘇生術が施行されたが、同四三分、死亡した。

(四) その後の原告花子の状況

原告花子は、手術途中から出血傾向が出現したため、芝医師らは、赤血球濃厚液と新鮮血を相次いで輸血し、また、止血機構を改善するためにフィブリノーゲン及びFOYを投与し、さらにアシドーシス(血中の酸と塩基の関係が酸優位の状態になったもの)を補正するためにメイロン、ショック状態を改善するためにハイドロコートン(副腎皮質ホルモン剤)、イノバン(昇圧剤)、ラシックス(利尿剤)等をそれぞれ投与した。また、圧迫止血の目的で膣内へガーゼを挿入した。

原告花子は、同月二六日午前零時ころ病室へ戻り、その後も出血傾向が続いたが、同日午前三時ころからは徐々に止血傾向となり、同日午前七時ころには意識明瞭となった。

芝医師は、手術中に原告花子に出血傾向が出現したことから、止血不全による子宮創の縫合不全が生じる可能性があり、また、原告花子には抵抗力の低下が見られることから、術後感染症が発症するおそれがあると考え、これを予防するため、原告花子に抗生物質であるホスミシンとシオマリンを点滴投与した。

ところが、同日昼過ぎころから原告花子に三七度を超える熱が続いたため、芝医師は、子宮内膜炎が発症したと考え、同月二九日に行った原告花子の悪露(産褥期にみられる子宮、膣、外陰からの分泌物(乙二三))、血液及び尿の細菌培養検査及び薬剤感受性検査の結果に基づき、抗生物質をペントシリン、ビクシリン、アミカシンに変更し、翌四月九日までこれを原告花子に点滴投与した。そして、その後は、ミノマイシンとビクシリンを経口投与した。

原告花子は、CRP(体内に急性の炎症や組織の損傷があるときに血清中に増える蛋白の一種であり、感染症では強い陽性を示す(乙二四)。)検査の結果が、三月二七日はプラス七、四月一日はプラス八、同月四日はプラス九、同月七日はプラス七であったが、同月一四日にプラス一となった。また、原告花子は、同月一一日以降、熱が三七度を下回るようになり、さらに、白血球数(成人の正常値は一立方ミリメートルあたり四〇〇〇ないし九〇〇〇個であり、細菌等が体内に侵入すると増加する(乙二四)。)が、手術後、四月七日までの血液検査ではいずれも一万を超えていたものが同月一四日の血液検査で五九〇〇となった。

芝医師は、CRP検査、熱型及び白血球数の結果を総合し、原告花子の子宮内膜炎は治癒したと判断し、ミノマイシンの経口投与を四月一五日に、ビクシリンの経口投与を同月一六日にそれぞれ中止した。

その後、原告花子は頭重感を訴えていたが、同月二二日午後に熱が三七度くらいとなり、その後、一旦三七度を下回ったが、翌二三日午後に三七度八分くらいまで上昇し、翌二四日の午前に三七度二分くらいまで下がったものの、同日午後には三八度六分まで上昇した。また、原告花子は、同月二一日に茶褐色の帯下(帯下とは女性性器管からの分泌物をいい、一般には白色状である(甲三五)。)、翌二二日に茶褐色の悪露、翌二三日に血性の悪露と肉片、翌二四日に茶褐色帯下、下腹痛が認められた。さらに、四月二一日のCRP検査の結果がプラス一であったことが翌二二日に判明した。

芝医師は、発熱については午前中の熱がいずれも三七度前後くらいであり、また、乳緊による発熱とも考えられること、茶褐色の帯下や悪露等も産褥期にはよく見られるものであること等から、抗生物質を投与することなく経過観察することとし、四月二五日午前の検診では、原告花子については翌二六日の退院を示唆する診断をしていた。

そして、芝医師は、右同日(二六日)に自らの結婚式が予定されていたため、同月二五日午後の検診から新本医師が担当した。同医師は、同日午後の原告花子の熱が三七度八分であったことから子宮内膜炎の再発を疑い、抗生物質(シオマリンやペントシリン)の投与を再開した。また、同月二八日からは連日にわたって子宮腔内洗浄(ボーゼマン洗浄)を行い、さらに、右同日に行われた原告花子の悪露の細菌培養検査の結果に基づき、抗生物質をアミカシン、ペントシリンに変更した。

その後、原告花子は、五月八日に熱が三七度を下回るようになり、CRP検査の結果も、四月二六日及び同月三〇日はプラス四であったものが、五月六日はプラス一となり、同月一二日にはマイナスとなったため、被告病院は、同月一二日を最後に子宮腔内洗浄を中止し、同月一四日に抗生物質の投与を中止した。そして、原告花子は、六月七日、被告病院を退院した。

原告花子は、その後も被告病院に通院して子宮腔内洗浄を受けていたが、九月八日、子宮卵管造影法による検査の結果、子宮腔癒着症と診断され、一〇月九日、被告病院に入院して癒着剥離術が施行された。原告花子は、その後も被告病院に通院したが、昭和六二年二月二〇日の診察を最後に通院を中止し、平成元年一二月一四日、静岡県立総合病院の医師により子宮腔内癒着症・子宮内膜萎縮症、妊娠の可能性は非常に少ないと考えられるなどと診断された。

2  争点2(胎児仮死の時期及び原因)について

(一) 原告らの主位的主張について

(1) 原告らは、亡雄太が原告花子に破水や息苦しさ等のショック症状が生じるより前に陣痛促進剤の投与による子宮内圧の上昇等によって胎児仮死となっていたと主張し、これに沿う証拠としては、まず、原告らが依頼した私的鑑定人である山田哲男医師の意見があるところ(甲二一、二八、証人山田哲男。以下「山田意見」という。)、その要旨は、次のとおりである。

亡雄太は、原告のショック症状より前にすでに胎児仮死となっていた。その根拠は、分娩監視装置のモニタリング記録(乙2.190丁ないし一九二丁)に胎児仮死の徴候を示す遅発一過性徐脈が現われていたこと、基線細変動の消失状態が認められること、原告花子のショック症状より前に胎児心拍数が重篤な胎児仮死を示していたことである。すなわち、乙2.190丁によれば、三月二四日の一五時二七分すぎ、同二九分すぎ、同三一分すぎ、一六時九分すぎ、同一四分すぎ、同二九分、同三五分すぎ、同四〇分、同五九分、一七時一〇分すぎ、一八時五九分、一九時一三分すぎ等に遅発一過性徐脈が認められる。また、乙2.191丁によれば、翌二五日の一六時一〇分すぎ、同三五分すぎ、同四二分すぎ、一七時一八分すぎ等に遅発一過性徐脈が認められる。さらに、乙2.192丁によれば、一八時九分すぎ、同一〇分すぎ、同一二分、同一六分すぎ、同一八分すぎ、同二〇分すぎ、同二二分すぎ等に遅発一過性徐脈が認められる。また、乙2.191丁によれば、三五分以上にわたって基線細変動の消失状態が認められる。そして、乙2.192丁によれば、原告花子にショック症状が生じる前である一八時二七分すぎに胎児心拍数に乱れが生じ、同三二分すぎには一二〇以下(徐脈)になっている(なお、時刻はいずれもモニタリング記録上のもの)。

そして、このような胎児仮死は、陣痛促進剤の投与によって生じたものである。すなわち、原告花子は、CPD(児頭骨盤不均衡)かあるいはその疑いがあった上、子宮頸管熟化不全症であり、陣痛促進剤の投与時点においても頸管が熟化していなかったところ、陣痛促進剤の投与により子宮内圧が上昇し、これにより、絨毛間腔循環障害が生じて亡雄太が胎児仮死となったものである。

なお、原告花子のショック症状は亡雄太が胎児仮死となった後に生じたものであり、亡雄太の死亡とは無関係である。また、本件では亡雄太の低酸素状態が長期的段階的に先行したことが原告花子に何らかの影響を与えてショック症状を生じさせたとみるのが自然である。

(2) そこで、以下、検討する。

まず、胎児仮死の徴候を示す遅発一過性徐脈が頻回に認められるとする山田意見は、同医師が指摘する箇所のほとんどは長期微細変動の一部あるいは変動性一過性徐脈であるとする小林隆夫医師の意見(乙一四、一五の1ないし5、証人小林隆夫。以下「小林意見」という。)に照らして直ちに採用できない(なお、小林意見も、乙2.190丁の一五時三一分すぎ、一七時一〇分すぎ、同一九一丁の一六時四二分すぎは遅発一過性徐脈の疑いがあるとしているが、その後に胎児仮死のないことを示す一過性頻脈や基線細変動が認められることからすると、亡雄太が重篤な胎児仮死となっていたとは認められないとしている。)。また、三五分以上にわたって基線細変動の消失状態が認められるとする山田意見も、これを否定する小林意見に照らして直ちに採用できない。さらに、山田意見は、三月二五日一八時二七分すぎに胎児心拍数に乱れが生じたこと、同三二分すぎには胎児心拍数が一二〇以下(徐脈)になっていることをもって亡雄太が重篤な胎児仮死となったとするが、これらの胎児心拍数の乱れ等は、分娩監視装置が胎児心音を拾えなくなった場合にも生じるというものであるから(証人山田哲男)、右の胎児心拍数の乱れ等をもって直ちに亡雄太が重篤な胎児仮死となっていたと断定することはできない。そして、前記認定事実によれば、本件では、分娩監視装置のブザーが鳴ってから数分後には原告花子が相当なショック症状に陥っているところ、山田医師も、右ショック症状が亡雄太に影響を与えることを認めている(証人山田哲男)。そうすると、本件において、原告花子のショック症状より前に亡雄太が重篤な胎児仮死となっており、右ショック症状と無関係に亡雄太が新生児仮死となったと断定することはできず、これを肯定する山田意見を直ちに採用することはできないというべきである。

(3) また、原告らは、乙2.1丁裏に、まず「児心音低下 六時三〇分」の記載があり、その次の行に「六時四〇分 破水直後より児心音さらに低下」の記載があること、また、乙2.197丁に、まず、一八時四〇分の欄に「児心音低下」とあり、その後に「羊水流出感」訴えるとの記載があること、そして、その後の状況を記載した乙2.233丁表に、「一八時五〇分 意識不明(息苦しさ訴えた後)」「一八時五二分 破水(+)」と記載されていること、さらに原告花子本人も、まず分娩監視装置のブザーが鳴り、次に破水があって、その後、息苦しさを感じるようになったと供述していること(原告花子作成の陳述書(甲三二)も同旨)をもって、本件では、破水や息苦しさ等が生じるより前に亡雄太が胎児仮死となったと主張する。しかしながら、分娩監視装置が胎児心音を拾えなくなった場合にも胎児心拍数の乱れが生じたり、分娩監視装置のブザーが鳴ることがあることは先に述べたとおりである上、前記認定事実によれば、分娩監視装置のブザーが鳴った後、原告花子は、直ちに陣痛室に駆けつけた川島助産婦らに対し、破水があったような感じがしたことや息苦しいことを訴えているのであって、これによれば、原告花子にはブザーが鳴る前からすでに何らかの異常(プレショック)が生じていたと推認することもあながち不自然なことではなく、むしろ可能であるところ、原告花子本人の前記供述等は、前記認定の同原告が置かれていた当時の状況及びその症状等に照らし、合理的疑いを抱く余地があり得る上、右推認事実と対比すると若干不自然であるとの感を免れないともいえる。そうすると、原告花子本人の供述や診療録の記載等をもって、原告花子のショック症状より前に亡雄太が重篤な胎児仮死となっていたと認めることもできないというべきである。

(4) そして、他に原告らの主位的主張の事実を認めるに足りる証拠はない。

(二) 当裁判所の認定事実

かえって、前記認定事実に関係証拠を総合すれば、亡雄太が胎児仮死となったのは原告花子に生じた羊水塞栓症によるショック症状が原因である可能性が濃厚であり、客観的事実とも矛盾しない。すなわち、証拠(甲四、二四、乙五)によれば、羊水塞栓症とは、羊水中の成分が母体血中へ流入し、母体の肺循環系が閉塞され、急性肺循環不全をきたした状態をいい、いったん発生すると救命が困難なほど急性かつ重篤な経過をたどるとされ、その初発症状はチアノーゼを伴った呼吸困難、ショック等であり、続発症状としてはDIC(播種性血管内凝固症候群)(何らかの原因により、極端な血液凝固性充進状態を生じ、全身の主として細小血管内に血栓の多発をきたし、このため消費性凝固障害を呈する症候群(乙五))による出血傾向が最も多いとされるところ、前記認定事実の原告花子のショック症状等は右の羊水塞栓症による症状と矛盾するところがない。そして、小林意見も右ショック症状は羊水塞栓症に起因するものとするのが妥当としているところである(なお、山田意見も羊水塞栓症であることを積極的に否定していない。)。

これに対し、原告らは、原告花子のショック症状は子癇あるいは高緊張性子宮収縮異常によるものであると主張し、これに沿う証拠もあるが(山田意見によれば、その可能性があるとされている。)、証拠(甲二四、二五)によれば、子癇とは、妊娠、分娩及び産褥期中に突発する強直性並びに間代性の痙攣を主徴とする急性症(妊娠中毒症によって起こった痙攣発作)をいい、その多くは、昏酔、浮腫、尿蛋白、高血圧を合併することが認められるところ、本件における原告花子のショック症状は、前記認定事実のとおり、これと異なるものである。また、証拠(甲二七)によれば、高緊張性子宮収縮異常とは、子宮各部に収縮が起こるが、その収縮に統一と同調を欠くために有効な娩出力となりえない状態をいい、この場合、子宮内圧は上昇し、産婦は痛がったり、騒いだりすることが認められるところ、証拠(乙二)によれば、原告花子が痛がったり、騒いだりしたことはないのであるから、原告花子のショック症状は、これとも異なるものである。

そして、他に原告花子のショック症状が羊水塞栓症によるものであることを否定する証拠はない。

以上によれば、原告花子のショック症状は羊水塞栓症によるものであると認めるのが相当である。

(三) 原告らの予備的主張について

ところで、原告らは、原告花子の羊水塞栓症自体が陣痛促進剤の投与によって生じたと主張するところ、確かに、証拠(甲四、九、一〇、二四、三〇、山田意見、乙八の1、2)を総合すれば、陣痛促進剤の投与により羊水塞栓症が発症することがあるとする見解があることが認められる。

しかしながら、証拠(乙一六の1、2、一七、一八、小林意見)によれば、陣痛促進剤の投与と羊水塞栓症の発症とは無関係であるとする医師らの研究結果が報告されていることが認められていることに照らすと、前記見解をもって直ちに本件の原告花子の羊水塞栓症が陣痛促進剤の投与によって生じたと推認することはできないというべきである。そして、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

したがって、原告らの予備的主張も理由がない。

3 争点3(亡雄太の死亡に関する被告病院の過失の有無)について

(一)  陣痛促進剤の投与に関する過失について

前記説示のとおり、本件では、原告花子の羊水塞栓症と陣痛促進剤の投与との間の因果関係を認めることができず、また、本件全証拠によっても、原告花子のショック症状と陣痛促進剤の投与との因果関係を認めることもできない。そうすると、被告病院には亡雄太の死亡につき陣痛促進剤の投与に関して過失があったとする原告らの主張は、その前提を欠くというほかはない。

よって、その余の点について判断するまでもなく、原告らの右主張は理由がない。

(二)  遅発一過性徐脈を見落とした過失について

原告らの主張する右過失は、原告花子のショック症状より前に亡雄太が重篤な胎児仮死となっていた事実が認められることを前提とするものであるところ、右事実が認められないことはすでに説示したとおりである。

よって、その余の点について判断するまでもなく、原告らの右主張は理由がない。

(三)  異常発生後の対応に関する過失について

原告らは、原告花子に異常が発生した後の被告病院に複数の過失があると主張し(第二、三、3、(三))、これに沿う証拠(山田意見)もあるが、前記認定事実(第三、二、1、(三)、(1))に照らせば、被告病院に原告らの主張するような過失は認められないというべきである(これに反する山田意見は採用できない。)。

よって、原告らの右主張は理由がない。

(四)  以上によれば、亡雄太の死亡について被告病院に過失があったとする原告らの主張はすべて理由がない。

4 争点4(原告花子の子宮腔癒着症等に関する被告病院の過失の有無)について

(一)  原告らは、被告病院には院内感染により原告花子に子宮内膜炎を発症させた過失があると主張し、これに沿う証拠(山田意見)もあるが、証拠(乙二、二一、二二、証人芝徹)を総合すれば、原告花子の子宮内膜炎は膣の常在菌によって生じたものと認められ、これに反する山田意見は、右に掲げた各証拠に照らし、採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

よって、その余の点について判断するまでもなく、原告らの右主張は理由がない。

(二)  原告らは、被告病院には原告花子の子宮内膜炎が治癒していないのに抗生物質の投与を中止した過失があると主張し、これに沿う証拠(山田意見)もある。

しかしながら、前記認定事実によれば、芝医師は、CRP検査、熱型及び白血球数の結果を総合した結果、原告花子の子宮内膜炎が治癒したと判断して抗生物質の投与を中止したものであり、右判断には十分な合理性があるというべきであるから、芝医師の判断に過失はないと認められる(これに反する山田意見は採用できない。)。

(三)  原告らは、被告病院には抗生物質の投与の再開が遅れた過失があると主張し、これに沿う証拠(山田意見)もある。

しかしながら、前記認定事実のとおり、芝医師が原告花子に抗生物質の投与を再開しなかったことには合理的な理由があると認められることに照らすと、右山田意見をもって直ちに芝医師の措置に過失があると認めることはできず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。また、本件では、仮に芝医師が原告花子に対して四月二五日より前に抗生物質の投与を再開していれば原告花子の子宮腔癒着症等が発生しなかったとの事実を認めるに足りる証拠もない。

よって、原告らの右主張も理由がない。

(四)  原告らは、被告病院には子宮内膜炎を悪化させる可能性があるボーゼマン洗浄を行った過失があると主張し、これに沿う証拠(山田意見)もあるが、前記認定事実によれば、ボーゼマン洗浄は原告花子の子宮内膜炎の治療として行われたことが明らかであり、これが過失であるとは到底認められない。

(五)  以上によれば、原告花子の子宮腔癒着症等について被告病院に過失があったとする原告らの主張はすべて理由がない。

三  結語

よって、その余の争点について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がない。

(裁判長裁判官・田中由子、裁判官・今村和彦、裁判官・村主隆行)

別紙〈省略〉

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